今回の群馬県高崎市「ゴミ屋敷の片付け」におけるメイン作業は、キッチン(台所)ということで、少し歴史を掘り下げてみたいと思います。
語源は平安時代の台盤(食物を載せるための脚付きの台)とも、人間の根幹たる胎盤ともいわれる。
食物を調理するためには、洗う、切る、煮炊きするなどの動作が必要である。竪穴式住居では各住居の中央において、直火による加熱調理が行われ、高くなった中央が排煙の役割を果たした。このように家族が密集した状態では、衛生上問題があり、また、これらを機能的に満足させることができなかった。そのため、はじめ、住居の端に台所空間が移動させられたが、そのうちに独立した室が作られたのが、台所のはじまりとされる。
加熱調理器の発展は定住型の民族の中で行われた。燃料となる薪は都市部でしばしば高価なものであり、熱利用の効率性が求められた。かまどは熱を効率的に使用することができた。しかし持ち運びは不可能で、遊牧民族の間では普及しなかった。また、火力調整が難しく、囲炉裏などのように、直火による調理方法も一方で行われた。かまどと囲炉裏は要求される機能が異なるため、両方が存在することもあり、製造する手間や空間の無駄を省くため、時代や場所によっては、片方のみが存在している場合もある。
台所空間で洗う作業を行うためには排水設備が必要で、都市レベルでの優れた土木技術が必要であった。したがって、古くから水道を取り入れられる国、地域は限られていた。古代ローマのローマ水道では、使用料を払えば誰でも台所へ水道を引き込むことができた。このようなケースは稀で、多くの場合、洗う作業は井戸周りや川で行われた。室内の台所空間では簡素な流しが使われた。どちらにせよ、台所空間は衛生を保つため、その床を耐水性に優れたものにする必要があった。土間の空間はその要求に応えることができた。
近代に入り、下水設備が整うと、台所空間に水道が持ち込まれた。流し台は石、コンクリート、人造石研ぎ出し、トタン、ステンレスにハンダ溶接と進化したが、常に湿気をもった流し台は不衛生になりやすかった。戦後の日本では台所空間の不衛生を払拭するため、工場生産されたプレスステンレス式の流し台(KJ流し)が近代的な公団住宅の土台として使われた。プレスされたシンクは漏れることなく、下水設備への接続を可能にした。機能別セクションに分けられたセクショナルキッチンは流し台寸法の規格化(モジュール化)にも寄与した。また、個別生産されていたシステムキッチンの原型が製品として登場し、利用者の要求を広く取り入れた結果、セクショナルキッチンに代わる流し台として広く普及し、今日に至っている。
引用元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%89%80
本来は、調理する場所のはずなんですけどね・・・
外回り同様に、生活ゴミで溢れかえっています!
作業方法としては、熊手で掻き出して、別の部屋で少しづつ分別していきます。
before
after
今回は、処分品の多さと、搬出経路作成などで、2日間の作業でした。スタッフ数は延べ10名で、酷暑と戦いながらの過酷な作業でした。
料金¥450000(税別)にて、ご精算していただきました。
依頼者様より、今月中に解体予定とのことを事前に相談いただきまして、家屋解体との「セット割」とさせていただき、今回の料金が実現いたしました。解体作業のレポートは、後日配信いたします。